- コラム
- 2020/03/30
コラム 第一回 谷田貝光克
(本コラムは2020年、会員向けコンテンツとして公開されたものです)
(1)それでも桜は花開く
今年もまた桜の時節が巡ってきました。ところが今年はコロナウイルスという目に見えない敵に脅かされ世の中騒然としたままに花も散っていってしまいました。愛でられることもなく。
東日本大震災での大津波、原発事故では東北の広い地域で未曽有の災害が起き、完全な復活もままならぬうちに9年という月日が経ってしまいました。今なお不自由を強いられている人は少なくありません。そんな中で元気を与えてくれているもの、それが桜です。今年も被災地の多くの地で桜は花開いたのです。それを見て被害にもめげず立ち向かう勇気を与えられた人も多いことでしょう。どんな災害にもめげず桜は花開き、私たちに元気を与えてくれます。
「さくらさくら やよいの空は見わたす限り ~」と歌われてきた桜、私たちの心の中に根付き、親しまれてきた桜です。この歌は江戸の末期、子供の箏の練習用に作られたといいます。もの静かに、そしてしとやかに流れる曲に上品な美しさまでも感じられます。しぜんに桜への愛着までも引き出されるのです。
続く歌詞には「かすみか雲か匂いぞ出ずる いざやいざや見にゆかん」とありますが、実はほとんどの桜には匂いがないのです。ロマンな雰囲気を突然断ち切って申し訳ありません。桜の香りというと桜餅の葉の香りを思い浮かべる人もいることでしょう。この香りは桜の葉に含まれているクマリン配糖体の糖が塩漬けによって外れてできるクマリンの香りです。
桜の花に全く香りがないわけでもありません。それが証拠に千里香、駿河台匂、匂大島など香り・匂いの名を持つ桜もあるのです。鼻の利く調香師さんのいうことには30種類ほどの桜に香りがあるというから驚きです。ただ香りはごくごく薄いはずです。
高尾にある森林総合研究所の多摩森林科学園には250種類ほどの桜があり、2月末から4月末までいずれかの桜の花を見ることができます。香りのある桜が皆様を待っていますよ。まだ間にあうかもしれませんね。
(2)薄桃色の桜の花に心安らぐ
川沿いに一面に薄桃色の花を咲かせ、公園に所せましと花を広げる桜。 そして吹く風にひらひらと散る花びらは、川面を静かに流れ、道端を薄桃色に色づける、そんな光景があちこちで見られるのが桜の時期です。薄桃色の桜の花、その多くがソメイヨシノです。そして桜の花というと薄桃色が頭に浮かぶほど、身近によく見られるのがソメイヨシノです。3月末から4月にかけて花開くソメイヨシノは卒業式や入学式に彩を添えてきました。ところが近頃はソメイヨシノよりも早めに咲き、花の色も濃い目の河津桜を植えるところも多くなってきているようです。江戸時代幕府は隅田川の土手に桜を植えて土手を踏み固めるために花見を奨励したということですが、昨今のコロナ騒ぎはそんな庶民の楽しみまでも奪い去ってしまいました。
ところで薄桃色の、どことなくやさしさを思わせるソメイヨシノの花の色、その色に魅かれ、それで癒される私たち、そこには控えめな日本人の気質が込められているような気がするのです。そして「敷島の大和心を人 問はば朝日に匂う山桜花」と歌われているように桜の花は私たちの心の奥底にしっかりと根付いているのです。そう思うのは私だけなのでしょうか。海外に出向いた時、木の花の色を見るたびにその国の人の気質を感じるような気持になります。
濃いピンクのパロ・ボラッチョの花の色、濃い紫のジャカランダの花を見るにつけ暑い日差しの下に燃えるようなその国の情熱を感じてしまいますし、プルメリアのうっすらとにおう白い花にそのもとで暮らす人たちの清らかさを感じるのです。
その国で親しまれる木、そしてその花の色、そこには国民性が表れているように思うのです。薄桃色のソメイヨシノから色濃く咲く河津桜が好まれる時代に移りつつある今日この頃、私たちの心に変化が見えだしているのかもしれません。
(3)意外に身近な桜の香り
満開の桜を見ながらの花見ですが、花より団子という言葉のように実は花を見るよりもほかの目的がありそうです。咲き盛る桜の下での宴、そんな機会を作ってくれる桜、それもまた桜の私たちへの思いやりなのです。宴の中にも注意深く嗅覚を利かせればほのかな香りを感じることもできるかもしれません。香りのしない桜が多い中で香りを持つことで知られているスルガダイニオイ、その花に最も多く含まれているのはフェネチルアルコールという化合物です。おそらく他の桜にも含まれているはずです。
フェネチルアルコールはバラの香りとしても知られているものです。マダガスカルの小さな島ノシベに植林され精油採取されているイランイランや母の日に贈るカーネーションにも含まれています。それだけではありません。なんと日本酒やビールにも含まれているのです。樽酒の熟成香にもなっているのです。桜の花の下での宴、花の香に酔い、お酒の香りに酔っているのです。
数ある和菓子の中でも見た目に優しさを感じる桜餅、その香りにも一層優しさを感じます。桜餅の葉は主に伊豆で植林されている大島桜の葉が使われています。そこでは葉を摘み取りやすいように人の背丈ほどに仕立てています。摘んだ葉は半年間塩漬けにされることで香ばしいクマリンの香りを漂わせるようになります。いつぞや桜餅の香りがクマリンであると書いたら、クマリンには発がん性があると聞いているが食べてもよいのかとの質問を受けました。国によっては食品への使用を制限しているところもあります。合成されたクマリンを食品フレーバーとして大量に使用するのを制限しているのです。犬に対しての実験では毎日100mg/kgを加え続けると肝臓障害が現れます。体重50kgの人ならば5gです。これは、桜餅の一枚の葉に含まれるクマリンの量は多くても1㎎にも満たないので、毎日5000個の桜餅に相当します。どんなに好きな人でも食べきれる数ではありません。
天然物といっても中には悪い物質を含んでいるものもあるのです。むしろ全く含んでいないものを探すのは無理でしょう。しかし許容制限以下で扱うならば問題ないのです。ものには許される範囲があるのです。